健康管理

テレビや雑誌などのダイエット特集などにもよく取り上げられる寒天。
皆さんはどのくらい寒天について知っていますか?
早速、寒天の栄養を見ていくことにしましょう!
寒天の原料は海藻で、紅藻類、特にテングサ(写真上)とオゴノリ(写真下)が使われています。この海藻の煮汁を固めたものがところてん、ところてんを乾燥させたものが寒天です。
寒天には食物繊維が豊富に含まれています。そのことから最近注目を集め、美容・健康食としても食されるようになりました。
みつ豆などの和菓子としてお馴染みの寒天ですが、純粋なものは菌の培養をするための培養基として使われるなど、現代のバイオテクノロジーに欠かせないものになっています。
昔は伊豆産のものが良質とされていましたが、現在ではモロッコ、ポルトガル、スペイン、チリやアルゼンチンなど世界各地から海藻が輸入され、様々な物性の寒天が作られています
姿かたちがまるで違う「寒天」と「ところてん」。でも、2つとももとは同じです。テングサなどの海藻類を煮詰めたものがところてんで、その水分を取り除いたものが寒天なんです。
まずはテングサやオゴノリなどの海藻を長い時間をかけて煮出します。
そして、寒天やところてんの素となる「寒天液」を抽出します。これを冷却したらところてんの完成です。ここでもうひと手間かけ、ところてんを凍結させて水分を取り除き、乾燥させます。すると寒天ができるのです。
そして、この寒水で煮て固めると、ところてんが出来上がります。 一般に売られている寒天は、冬の寒冷地で自然凍結と天日乾燥を繰り返して作られています。そのため、温暖の差が激しい信州で多く作られています
寒天は日本で初めて発明された食品で、非常に古い歴史があります。しかし、ところてんを食料として用いた歴史はさらに古く、平安時代に遣唐使が中国大陸から製造方法を持ち帰ったのが始まりだといわれています。

当時、ところてんは宮廷や高貴な人々の贅沢品であったようです。
ところてんを寒天にする方法を発見したのは伏見で本陣を営んでいた美濃屋太郎左衛門で、場所は今京都、時代は江戸(徳川家綱の時代)の頃でした。
季節は寒さの厳しい冬、旅館『美濃屋』の主人であった美濃太郎左衛門は、参勤交代の途中に宿泊した島津公をもてなす為にところてん料理を作りました。ところが、それが残ってしまいます。仕方がないので、美濃太郎左衛門は戸口にそれを捨てました。すると、戸口に捨てたところてんは凍り、数日の間に白い乾物に変化してしまいました。これに興味を持った美濃太郎左衛門は、この製造に取り組みます。そして、後に「ところてんの乾物」として販売を行いました。
黄檗山萬福寺を開創した隠元禅師にその「ところてんの乾物」を試食してもらったところ、精進料理の食材として活用できると奨励されます。しかし、当時はまだ名前がついていませんでした。そのことを隠元禅師に伝えると、彼は「ところてんの乾物」に「寒天」という名前をつけました。「寒い日に天、つまり自然が作らしめる」という意味を込めて命名したのではないかと言われています。 その後、大阪の宮田半兵衛が製法を改良し寒天を広げます。さらに、天保年間に信州の行商人・小林粂左衛門が諏訪地方の農家の副業として寒天作りを広め、角寒天を定着させたようです。
ひとくちに寒天といっても、その製品にはバリエーションがあります。偶然の産物として「ところてん」から誕生した「角寒天」は寒天の中で一番歴史が古く、現在は農家の副業として冬期限定で製造されています。
1881年、ロベルト・コッホが細菌を培養するのに寒天を用いる方法を開発したことで、寒天の国際的需要が増えました。そのため、第二次世界大戦前の日本にとって、角寒天は重要な輸出品でした。第二次世界大戦が始まると、日本は戦略的な意味合いから角寒天の輸出を禁止しました。そのため、寒天の供給が絶たれた諸外国は自力で寒天の製造を行うほかありませんでした。そして、自然に頼らない工業的な寒天製造法が開発されました。この結果生まれたのが粉末の寒天なのです。粉末寒天が国内で作られるようになったのは戦後のことです。
最近ダイエットなどで注目を集めているのは糸寒天で、見た目は細くはるさめのようです。サラダのトッピングとして使われることもあります。
ところてんは漢字で書くと「心太」となります。
「心が太い、太い心=ところてん」―なんか不思議な感じがしませんか?
テングサを煮溶かす製法は遣唐使が持ち帰ったとされていますが、当時は、テングサを「凝海藻(こるもは)」、ところてんを一般に「こころふと」と呼んでいました。この「こころふと」という呼び名に漢字を当て、「心太」と書かれるようになりました。「こころふと」という言葉は「こころ+ふと」という2つの言葉をつなげたもので、「こころ」は「凝る」が転じたもの、「ふと」は「太い海藻」を意味していると考えられています。しかし、正確な由来は未だに分かっていません。
室町時代に入り、「心太」は※湯桶読みで「こころてい」と呼ばれるようになります。それが時や場所を経て更に「こころてん」と変化し、江戸時代の書物では「ところてん」と記されるようになりました。
※湯桶読み(ゆとうよみ)・・・「湯桶」のように、前半が訓読みなのに後半が音読みにする読み方のこと。合図(あいズ)、雨具(あまグ)、粗熱(あらネツ)、野宿(のジュク)なども同じ湯桶読みです。逆に前半が音読みで後半が訓読みのものを重箱読み(じゅうばこよみ)と言います。
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